2007年投資関連本5冊目(通算19冊目)『最新行動ファイナンス入門』
最新 行動ファイナンス入門 最新 行動ファイナンス入門
ジョン・R. ノフシンガー (2002/08)
ピアソンエデュケーション

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人はは常に合理的な判断をするということを前提にした伝統的ファイナンス理論。
それに対し、不合理な行動はあるとし、その要因を心理と投資行動の観点から捉えたのが行動ファイナンスである。
人がなぜ不合理な行動をとってしまうのかということを具体例とともに解説。その理論をコンパクトにまとめられた良書であると思う。

竹井さんの株式投資と心理学のページも参考になるのでどうぞ。

で、本書によるとさまざまなバイアスに勝つために、ルールを明確化することが重要らしい。
それが「人によって」は損ぎりになったり、分散になったりするわけだ。

「人によって」の部分は、自らが陥りやすいバイアスを認識し、それをヘッジするルールを作るしかないのだろう。
僕などはもっと明確にルール整備を急いだほうがよいようだ。


けれど、結局人は自分というバイアスから逃れることなんてできない。
自分が陥っているバイアスを認識するのもバイアス。バイアスを逃れたつもりの視点も自分のバイアス。どこまでいっても自分のバイアス。

★★★★(5点満点の4点。この分野の本がまだであれば、ぜひとも読むべし)

クライアントが飛んで債権者になってしまった○田×男でした。

2007.04.07.01.48 | 個人投資家おすすめ本ランキング | URL | コメント(36) | トラックバック(0) |

取り立て乙です。
他債権者が換金しづらいモノに値段をつけて取ってくるが吉。

2007.04.07 03:14 URL | ずんちゃか #- [ 編集 ]

バリュー債権回収法と言います。
これで債権者集会も「そもそも質問」も怖くないw

2007.04.07 04:30 URL | ずんちゃか #- [ 編集 ]

「初心」ってバイアスのことなんですよ、間違って取られてるけど。世阿弥の理想は「初心」なんかにはない。

「初心忘るべからず。此句,三ヶ条の口伝在り。是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。」

ではこの三ヶ条の「初心忘るべからず」ってのもバイアスなのか?

武蔵は「我事に於いて後悔せず」。回収出来ても出来なくても一喜一憂なんかするもんか、だって男の子だもん!後悔もバイアスなんだよ。ってじゃあこれもバイアスなのか?

でベルクソンは「生の飛躍("élan vital")」とか」「愛の飛躍("élan d'amour")」とか言うんですが、飛躍って動的な概念なんで、どこでもドア、じゃなかったどこまでいってもバイアスも運動として観なあかんよと。世阿弥も武蔵も動きながら言ってるんだから、自分も動かないと言ってる事は聞こえないよと。


『風姿花伝』&『五輪書』&『創造的進化』 のお勧めでした。すべってもいいや。すってんころりん、少なくとも動いてるんだから。そういやあぐるぐる廻ってた変な質問もあったな(笑)。

2007.04.07 10:46 URL | 免 #5vYGyeZk [ 編集 ]

ずんちゃかさん
そもそも、出版関係なんてまっとうにやってれば換金できる資産がほとんどないはずなんです。
機関じゃない、他債権者が無視しそうなものねえ。バックナンバー一式もらってマニアにヤフオクで売りさばくか。
いや、債権自体がまあ笑ってしまうくらい小さな額なんでいいんですけどね。

免さん
ちょびっとずつ動いてるつもりなんですけどねえ。まだ動きが遅いみたいなんです。

おすすめ3冊は・・・あんまりすべらせてまた腕おったら大変なのですが、読むとしてもだいぶ先になるかなあ。

明日は山登り(仕事)で5時半起きなんで、もう寝ます。

2007.04.08 00:30 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

あら、こっちの方は考えすぎてくれないのねん(笑)。

ということで、実はこれ、すっっっっごく難しい問題を含んでるんで、ちょいと質問を。

この手の本って読んだ事がないんですが、どこまでいってもバイアスという事なら、バイアスってどうやってバイアスかどうか判断するんでしょうか?

言い換えると、どこまでいってもバイアスという考え方自体がバイアスなのでは?という質問に答える事が出来るんでしょうか?(笑)

2007.04.09 21:28 URL | 免 #5vYGyeZk [ 編集 ]

おろ、これはまたやっかいな(笑)。

ええと、よくわかりませんが、神の視点に立つしかないんじゃないでしょうか。
で、神の視点に立てないのが人であるならば、その問いには答えることはできない。
ゆえに、どこかで思考を止めて、(でも、それも疑えるんだということは保留しつつ)そこからはじめると。


こんなんで答えになってます?

2007.04.10 02:20 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

あはは(笑)。

いや、これは意地悪な質問で、答えは出ていない問題なんですよ。いや、出ていないと言い切っちゃうと問題があるかな(笑)。ベルクソンは出したような気がする。

で、Pletsさんとこにもカキコしようとして途中で止めたんですが、こいつは前にも少し書いたんですが、物理学は神の視点(客観的立場)にたってやって来てとうとう量子力学の「観測問題」に至って神の視点を放棄せざるを得なくなった。考察対象の中に科学者自身をも入れざるを得なくなってしまった訳です。

で、まあいわゆる客観的立場というものは人間は立ち得ない訳です。当たり前っちゃあ当たり前ですけど。という事は通常使われている「主観的」「客観的」という言葉の使い方、「客観的」という言葉と対立させて「主観的」という言葉を使うのは少々問題がある。「主観的」ったって、必ずしも客観的でないわけではない。「客観的」ったって主観的でない訳ではない。

で、結局主観的立場においてどう客観性を得るのかという話なんですが、どこまでいってもバイアスのパラダイムの「外」にどうやって出るのか、いや出られないのかという話で・・・長くなるんで、今日はここまで。

この話、続くということで(笑)。

2007.04.11 05:10 URL | 免 #5vYGyeZk [ 編集 ]

ここまでは、よーく分かりますよ。

続き、早く、早く(笑)。

2007.04.12 01:21 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

○田さん、お久しぶりです。
私は行動心理学が大好きで、これにより随分と自分の投資行動の質が変わりました。と言っても、学問としての知識があるわけではないですが。

 バイアスっていうのはきっともっと簡単なもので、行動心理学で言うところのそれは、自己の投資行動基準(規律)を歪める感情的なものはおおよそバイアス、ということだと思います。
 つまり、規律が正しいかどうか、規律そのものにバイアスがかかっているかどうか、それは行動心理学からしたら、ある意味どうでも良いことなのです
 それでも敢えて言及するなら、規律には何らかのバイアスがかかっているでしょう。規律はその人の性格、歴史、美徳、などにより形成されている訳です。
 あたりまえのことですが、"規律"なるものの質が低ければ、幾らその規律を守ったとしても話になりませんね。例えば、"バリュー株は儲かる"という尤もな定説に、自らきちんとバックテストを行ってその確信を深めた人はどれだけいるのでしょうか?それが何かの受け売りでしかないならば、それはバイアスとも言えるでしょう。でもそれはバイアスというよりはむしろ、"規律の質が低い"というほうが私にはしっくりくる表現です。
 結果的に、天才ではない優秀な投資家とは、より高い質の規律を求め、そしてその規律を守れるように努力をする、そんな作業を繰り返している人だろうと思います。

2007.04.12 01:42 URL | よっしー #gi6930lE [ 編集 ]

よっしーさん、こんばんわっす。

えっと、基本的に行動ファイナンスに関する認識は同じだと思います。

僕が読んだのはブログに書いた1冊だけですが、感情がいかに不合理な判断を行うのかということだと思います。
非常に学ぶところが多かったです。

ただ、例として用いられているのはすべて合理的な正解があるものなんですね。

で、実際の投資においては、何が合理的であるのか不合理であるのかは、最後までわからないことが多い。
また、逆方向のバイアスが2つ同時にかかるということが常といっていい。

逆に言えば、だからこそ規律が必要になるのでしょう。

で、ここからは行動ファイナンスの話とはややずれるのですが(とはいえ関係はある)、おっしゃるように規律そのものの質が高くないと意味がない。

これまた、よっしーさんがいうとおり自分のルールを守ることが大切だという人は多いですが、さて、そのルール自体が果たして勝つことに繋がるかどうかについてはほとんど考えていないんじゃないでしょうか。
変な話ですが。


といいながら、もう一回ひっくり返すのですが(笑)、結局いくらバックテストを繰り返しても、その正しさを担保するものはまた疑える。永遠に相対化できてしまうンだろうと思います。

で、免さんへの返答で書いたように、そんなもん繰り返していても神になれないので、どこかで疑いを一旦保留して規律を作るしかないだろうと。

結論としては、よっしーさんとたぶんそんなに変わらんと思うのですが。どうでしょ。



いやしかし、規律そのものを疑うとフージャースやアセットを持ち続けるというバイアスに見事にハマるのでしたww。

2007.04.13 03:20 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

よっしーさん、こんちわ。

良ければ「これにより随分と自分の投資行動の質が変わりました」というのを、出来ますれば具体例を挙げてもう少し説明していただけると、勉強になるのですが・・・。

わくわく(笑)。

2007.04.13 03:59 URL | 免 #5vYGyeZk [ 編集 ]

 ○田さん、免さん
 自分の規律が自分の想定しているリスク・リターン比を実現しているかどうかを分からないで投資をしているならば、私はそれは投資ではなくギャンブルだと思います。そういう人が市場で多数であるならば、人々はいつも希望と不安に苛まれ、そしてそこに歪が発生し、それを歪だと認識出来る人だけが数少ない勝者なのだと思います。
 例えば、○田さんのAssetの売値は、どうして19万じゃないのでしょうか?18.2で売っているということは、○田さんの行動基準にひずみが生じており、その歪は8,000円の損失を生んでいます。そしてその歪は19万でカラ売りをかけた人の懐に流れたのです。こういう小さな歪が世界中で発生し市場では一つの巨大な歪が発生し、その歪はいつでも勝者の懐に流れていくのです。

私が行動ファイナンスから学んだことは、
1)市場は時折愚かであること
2)自分はその愚かの片棒を担ぐこと
3)他の人も同じように愚かであること
4)業績予想よりは人間の行動予想のほうが自分には向いているだろうということ
といった感じです。
これにより、私の投資行動の中核は、企業分析よりもテクニカル投資、というか人間の行動予測にシフトしていきました。
そういう意味で、心理学とは私にとっては会計学よりも遥かに効果のある処方箋であったし、そして今でもより興味の対象なのです。

これって自分としては3万円くらいの内容のコメントなのですけれど(笑)。

2007.04.13 09:41 URL | よっしー #P7kqTMNE [ 編集 ]

なるほど、なるほど。

>これにより、私の投資行動の中核は、・・・人間の行動予測にシフトしていきました。そういう意味で、心理学とは私にとっては会計学よりも遥かに効果のある処方箋であったし、そして今でもより興味の対象なのです。
>これって自分としては3万円くらいの内容のコメントなのですけれど(笑)。

まあ、どれ程のリターンを齎すのかという意味では、多分、3万円では利かないのでしょう。よっしーさんにとっては、その価値は無限大と言った方が良いかも(笑)。

ただ、○田さんが、「どこまで行ってもバイアス」という論理展開をしたのは、私の理解するところでは、「こういう小さな歪が世界中で発生し市場では一つの巨大な歪が発生し、その歪はいつでも勝者の懐に流れていくのです」と果たして言い切れるのかという意味合いで使ったので、バイアスという言葉を行動ファイナンスで使う意味よりも広い意味で使っていると思うのです。そして、こちらのバイアスという言葉の使い方はむしろ普通の意味だと思うのですが、これはちょうどリスクという言葉の使われ方と同じだと思うんです。投資でいうリスクってボラティリティの事ですけど、普通の意味はもっと広い意味合いで使いますよね。

で、「こういう小さな歪が世界中で発生し市場では一つの巨大な歪が発生し、その歪はいつでも勝者の懐に流れていくのです」という文章に戻ると、この表現は神の視点に立っている訳ですが、実際には「その歪」は正確に認識できる訳ではなく、また勝者が必ずしも正確に認識出来ている訳でもない。「その歪」を誤って認識していたにもかかわらず、たまたま勝ってしまうことだってある訳です。勝者で居続ける事が至難である所以です。そういった認識論一般の問題としてのバイアスのあり方を「どこまで行ってもバイアス」という言い方で言ったのだと思うのですよ。よっしーさん言い方でいうと「規律そのものの質」の高低を判断する場合のバイアスという意味合いで。

ただ、ここには不可知論に嵌ってしまうという陥穽が待ち構えているんで、恐らくこの点に対してよっしーさんは書き込まれたと推測してはいるのですが(笑)。

2007.04.14 03:07 URL | 免 #5vYGyeZk [ 編集 ]

わ、よっしーさん、免さん。

よっしーさんの3万円コメントについてのお返事は、免さんが書いてくれました。
正確に、僕が思っていることそのまんまっす。

で、「不可知論に嵌ってしまうという陥穽」とどう折り合いをつけているのかが僕にはよく分からなかった。その点、よっしーさんの見解をあと数万円分お聞きしたいのですが(笑)。

2007.04.14 12:40 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

ご指摘の通り、バイアスの定義によってはお二人の指摘している通りのことになるでしょう。

 規律そのものの質を計るものは、バックテスト以外にないと私は考えています。バックテストの結果も過去の事実を見ているだけの単なるバイアス、という考え方もあるでしょう。しかし、そもそも相場とは有象無象たちがが集まって不可思議なものを予想しているだけに過ぎません。蝋燭足の動きを予想するのも、企業収益を予想するのも、その意味では全く同じ行為です。それでも裁定機会だけは極力無くなるように根づけは動いているので、インサイダー以外の人は相場という場所ではほとんど"神"にはなれません。
 なので、"神のみぞ"という考えは正しいとしても、そこをネガティブな意味で議論の終着駅にするのであれば、投資と言う行為は止めたほうがよいと思うのです。
 ポジティブな意味で考えるとは、神などいないのだから1%でも精度をあげるべく日々努力をして1%でもエッジを得る、という行動に終始することです。でもそれは"たかだかエッジ"でしかないので、自分が神でないと自覚していればリスク管理をきちんとすることで、その不確かさに対応していくしかありません。

 もしこれでもうまく私の考えが伝わらないとするならば、私は投資家の目線で議論をしていて、お二人は投資家評論家の目線で議論をしているのではないかと推測します。最初から少しそういう気はしているのですが、もしそうだとするとこういう話は立場の異なる人同士の不毛な言葉遊びになるので、私も(数万円の価値のある(^^;)本音を語らずに、評論家モードで発言します(笑)。

2007.04.15 15:32 URL | よっしー #gi6930lE [ 編集 ]

ええっとですね、僕は少なくとも評論家ではなく投資家として切実な話のつもりでお聞きしているのです。

>、"神のみぞ"という考えは正しいとしても、そこをネガティブな意味で議論の終着駅にするのであれば、投資と言う行為は止めたほうがよいと思うのです。

これはその通りだと思い、僕もそのつもりで「どこかで疑いを一旦保留して規律を作るしかないだろうと」、というコメントだったのです。

で、その「どこか」をどこに置いているのか、あるいは他の方法論で折り合いをつけているのかということを知りたかったのです。

そこで、よっしーさんは「バックテスト」であると明解な答えをしてくれた。つまり神でないのだから、バックテスト自体の有効性には一旦目をつむるということですよね。

僕の場合は、よっしーさんにとっての「バックテスト」、つまりここからは一応疑わないようにするよという最終ラインが非常に不明確なんです。
だから、アセマネを19でなく、18.2で売ったんだと思います。売ろうと思った判断基準を、これはバイアスではないかと疑ったわけです。
でもって、いまだ最終ラインがぼんやりしている非常にまずい状況にあるんですw。

で、あわよくば最終ラインをバックテストに置いた根拠をお聞きしたいなあと。

そんなもんに根拠があるなしはパフォーマンスに関係ないといえばそれまで、あるいは評論家的なのかもしれないんですが、一応、投資家としての切実な問いだということは分かっていただけました(笑)?

えーと、一応投資家モードでのお答えを期待w。

2007.04.15 16:48 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

じゃあ、投資家モードとしてのお答えを(笑)。○田さんが納得するものではないかもしれませんが。

 私が最終ラインをバックテストに置いている理由は簡単です。歴史は繰り返すと思っているからです。私は"市場は時に歪む"と信じています。何故ならばそこには人間心理があるからであり、人間心理には普遍性があるだろうと思うからです。バックテストというのは表面的に見ればある歴史の事実、というかスナップショットを写しだしているだけなのですが、時にそこには普遍的な人間心理の足跡があるだろうと信じています。何故そう信じるか、それは自分の行動が株価と同じように動いた時期があり、身をもって市場が心理によって動くということ確信を得たからです。私と同じ心理で動いている人が沢山いるならばその逆をいけば勝てるじゃん?、ということを肌で感じたからです。
 という訳で、経験的に論拠らしいいものがそこにある。そしてバックテストによると、それなりのリスク・リターンレシオが取れている。よってゆえに、バックテスト(というか論拠も併せてですが)を最終ラインに置く訳です。

 ○田さんはきっと私よりは遥かに投機色が薄い方だと思います。つまり"投資家"でしょう。そういう人は基本的にコントラリアンであり、大衆による値付けを信じていないというところが出発点であり、それが収益の源の筈です。じゃあ何を信じてるかといえば、それは多分に企業分析・市場分析なるものでしょう。だとするならば、Assetを売るのであれば翌日の寄り付き以外に私には考えられません。ザラ場の間に企業価値は何も変化していないのですから、買い向かう理由こそあれ売る理由は何も無いでしょう。ロスカットのためのストップを18.2に最初から置いていたなら話は別ですが。どうして18.2まで引っ張ったかの理由は○田さんご自身がもっともご存知でしょう。じっくり考えてみるとよいと思います。

 最終ラインは恐ろしく大切なものであり、それこそがidentityであると私は考えています。正解などなく、人それぞれ拠り所はあるでしょう。それを見つける以外に株式投資で儲ける方法は無いだろうと私は考えています。その最終ラインを最終ラインたらしめる最大の要素は"人より優れていること"だと私は考えています。インサイダーは非常に優れているので儲かります。じゃあ自分は何を知っていて何が人より優れているのか、そのことを煮詰めてエッジを探す以外に方法は無いだろうと思います。ですので、私自身も日々このエッジの精度を高めること、そしてそれを行動に移せる強い精神力を持つこと、この二点をトレーニングしている訳です。
 未だにどちらも暗中模索中で失敗してばかり。偉そうなことは何も言えないのですが、理由を問われたのでキチンと回答したつもりです。

2007.04.15 19:13 URL | よっしー #P7kqTMNE [ 編集 ]

もう、よっしーさん、カッコいいなあ。
そう、そう、そこを聞きたかったんですよ。

>何故そう信じるか、それは自分の行動が株価と同じように動いた時期があり、身をもって市場が心理によって動くということ確信を得たからです。

のくだりなんて、ああやっぱり机上の空論だけで最終ライン、よっしーさんの言葉でいうとアイデンティティなんてできるわきゃないんだよなということがよく分かりました。

3年は失敗しながら、そこをある程度固める期間だと思っているのですが、やはりまだ時間かかりそうですねえ。


いや、3万円どころでなく、ホントに感謝してるんだけど伝わってるかなあ。
ブログやっててよかったなあ。

2007.04.16 00:29 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

かっこよかぁないですよ、全然(苦笑)。馬鹿みたいに儲かっていりゃ少しはいいですけどね。

 ついでにもうちょっとシニカルなことを言うと、"机上の空論"も論理がしっかりしていれば相当な武器になると思うのですよ、私は。思うに、多くの投資家は(私も含めて)机上の空論以下の投資理論しか持ち合わせていないと思います。
 例えば、フージャースの今期の決算が増益になる確率と減益になる確率と比較して、何処に増益になるほうが確率が高いという論拠があるでしょうか?減益を続ければPERなんて何の説得力もありません。
 バフェットの言うところのエクセレントカンパニーを見つければ短期の株価は無視出来る、そりゃそうかもしれません。でもその会社がエクセレントカンパニーであり続けられる論拠は?特許以外にビジネスの参入障壁はどうやって作られているのか?
 もっといえば、今の日本が景気のピークでは無いという論拠は何処にあるのか?
とは多くの場合真実でしょう。今が景気のピークならばこれから多くの銘柄の株価は下げ続けるでしょう。

 私は投機とは別にファンダメンタルズベースの投資も沢山やります。でもいつも上記のような恐怖に苛まれています。そして、自分の投資哲学は、悲しいことに、この恐怖を払拭するだけの机上の空論すらまだ確立されていないのです。一方で、世の中の多くの物言いには立派な投資哲学が語られているように見えて、実は"割安"という言葉の定義すらされていないものばかりです。Relativeとは何を意味しているのか?これを机上の空論でも自己の言葉でしっかりと語れる人が世間にどれだけいるでしょうか?

一見正しそうなことを正しいと思うのは実に簡単なことですが(日本人が得意なこと)、全てを疑いの目で見ることから、真の自分の投資哲学は生まれてくるように思います。

2007.04.16 23:34 URL | よっしー #P7kqTMNE [ 編集 ]

あ、いやカッコイイというのは、この場で自らが体感した温度のある言葉で語ってくれたことですよ。
ちょいと感激したんです。

で、ですね、割安という言葉の考察はこれまたグルグルと永遠に続く議論だと思うんです。
割という意味の中に比較があるわけですから、何かと比べて安くないといけない。
で、比べる対象が絶対基準でない限りは、またそれも相対的な比較対照となる。
ま、永遠に続くわけですよね。

これまた、どこを最終ラインにするかが投資哲学、手法の差にもなるんでしょう。

で、すべてを疑うこと同時に、何よりどこまでを最終ラインにしているかを自分で分かっているかどうかが重要なんだろうと思います。

思いますが、なかなか難しい。
それは、やはり僕の中に、よっしーさんのような実感のようなものが欠けているんではないかと思うんです。

というより、よっしーさんのコメントでそう思ったんですが。

とにかく、何か大きなヒントをもらったような気がします。
自分の中で整理せねば。

2007.04.18 01:00 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

 "なかなか"どころか、死ぬほど難しいんですよ。それを実感していることはとても大きな財産だと思います。私は株式投資が簡単だと思ったことは一度もありません。そういう意味では私の実感も○田さんの実感も同じなんだと思います。
 もしも違いがあるとすれば、"永遠に続く禅問答"を私は許容しているのですよ。その答えは一般的な意味では見つからないと思っていて、それでも株式投資をやっているのです。すると、必然的に拠り所はバックテストになります。
 でも徹底的にファンダメンタルズを勉強して、理路整然と無限ループから脱出を試みるの一つの方法なのかもしれません。そういう手法で儲けている投資家がいるのかどうか知りませんが。

という訳で、あまりに濃い内容の話を人の掲示板でしてしまいましたが、お互い頑張っていきましょう!

2007.04.18 02:24 URL | よっしー #P7kqTMNE [ 編集 ]

よっしーさん


>もしこれでもうまく私の考えが伝わらないとするならば、私は投資家の目線で議論をしていて、お二人は投資家評論家の目線で議論をしているのではないかと推測します。最初から少しそういう気はしているのですが、


今ひとつ、よっしーさんのカキコの意図が判らなかったので、敢てくどく念を押した訳ですが(笑)、こうした議論が「投資家評論家の目線で議論をしている」風に見えるというのは、いささか意外ではあります。まあ、日頃の言動からそう見えるのでしょう(笑)。

しかし、「もしそうだとするとこういう話は立場の異なる人同士の不毛な言葉遊びになる」というのは、ちょいと違和感があるのですがね(笑)。「どこまで行ってもバイアス」という議論を深める事は、むしろ「立場の異なる人同士の不毛な言葉遊び」を無くす効果を齎すと私は思うのです。評論家モードであろうが投資家モードであろうが、その理論自体が真っ当か真っ当でないかには関係ないと私は考えます。結局、突き詰めればどのような立場であろうとも、理論足りうるのか、そもそも理論足りえない理論なのかという話だけだと思います。

ただ、私が一般?理論に拘るのは、具体論だけでは充分でないと考えるからです。一般化を成し得ない具体論は理論足り得ないからです。逆に言えば、一般理論で簡単に片付く問題を、具体に嵌っているがために抜け出せないでいる例が余りにも多すぎる。投資に於ける統計論議なんかはその典型でしょう。


○田さん


「どこまで行ってもバイアス」論議については、勿論この場で決着をつけるという訳にはいきませんが、ただ、混乱を招かないよう論点を絞り込むための幾つかの接線は引いておかなければならないと思います。

その一つは先に述べた主観的視点の徹底ですが、これがなかなかと難しい。小説なんかもそうですが、普通は客観的視点と主観的視点が混在している、或いは混在させているのが現状です。突き詰めていくと、小説技法論としてこれはなかなかと深い問題を含んでいると思われますが、そういう意味で私には方法論としてエヴァが非常に面白かった。あれはパラダイム論として素晴らしい出来だと思うんです。

で、そこから出てくるのは”内に入り込む”という方法です。パラダイムの外から別の基準を当て嵌めてどうのこうの行っても別に大した事じゃあない。むしろ、内に入り込んでその内在する論理を抉り出して、その上で論議すべきだと思うのですよ。まあ、「搦め手から」というのはそういう方法論をいう訳ですが(笑)、そういう意味で、「オタクとか引きこもりなんかはあんなモン、外国におっぽりだしゃあ直ぐシャンとする」とか言ってる今の大人は子供を捉え損なっていると思うんで、いわゆる若者論というのはちゃんとやらなくちゃあいけないと思うんです。今の企業内部で、この雇用側と被雇用側の考え方のミスマッチというのは非常に深刻な状況にあると思うのです。少子化なんかも精神的な問題が大本にあると私は思うんですがね。

いや、話がちょっち変な方へ行きましたかね(笑)。で、あと接線は二つほど挙げておきたい。

2007.04.18 21:26 URL | 免 #5vYGyeZk [ 編集 ]

よっしーさん、僕はどこまで行ってもバイアスって言ってるくらいですから、そもそも無限ナンピンじゃないや、永遠に続く禅問答は許容していますよ。
もちろん、ファンダをいくら勉強してもループからは逃れられないでしょう。

で、繰り返しますが永遠に続くところを一旦保留し、範囲を限定したうえで、そこを徹底的にやる。それが、よっしーさんのいうエッジに繋がるんだろうと。

なんか僕の発言自体がループしだしましたねw。

いや、まあとにかく僕のコメント欄でもご自身のブログでもいいので、濃いのも薄いのもガンガン書いてくださいよ。

楽しみにしとりますから。

2007.04.19 01:47 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

免さん
エヴァは確かに内側から、オタクにおける他者の問題を描いていた。だからこそ救いがない作品になったのでしょう。


で、その内で議論するということと
>結局主観的立場においてどう客観性を得るのかという話なんですが、どこまでいってもバイアスのパラダイムの「外」にどうやって出るのか、いや出られないのかという話で・

ということのつながりがよく分からないのですが、エヴァが主観的立場において客観性を得る方法論で描かれているということでしょうか? なにぶん、エヴァ自体、半分忘れかかってますので、ちょいと解説を。

あと2つの接点お待ちしてます。

2007.04.19 03:25 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

>ということのつながりがよく分からないのですが、エヴァが主観的立場において客観性を得る方法論で描かれているということでしょうか? なにぶん、エヴァ自体、半分忘れかかってますので、ちょいと解説を。

えーと、まあ、勿論これは私の読みが正しいという前提での話ですが、ストーリーを徹頭徹尾主観的模写で押し通した、客観的視点を持ち込まなかったという点が素晴らしいと思うんです。実際には、TV版の25話26話で客観的視点を持ち込んではいるんですが、少なくとも客観的視点を持ち込む事の欠点は十二分に意識した上で、慎重に工夫した上で持ち込んでいると思うんです。結局、客観的立場に立って主観的バイアスを裁いてしまわないで、飽く迄主観的バイアスに徹してそのオタク的主観的バイアスというものを見事に描いて提示したところが素晴らしい。だからこそ共感を得られ、賛否両論を巻き起こしたと思うんです。共感を得られたということは客観性を持ったと言ってよいと思います。

このことは、むしろ主観的立場に徹することが逆に客観性を齎すと言っていい。この客観性というのは現実性と言い換えても良いのですが、主観を現実的に提示する事が出来れば客観性を獲得することが出来る。つまり、徹するという行為において主観を客観的に”知る”事が出来るといった事なんですが、これじゃあ納得しないかな(笑)。つまり、徹するという行為においてはある種の内観が必須な訳です。内部感覚といっても良い。これ無くしては徹することは出来ないし、”知る”事も出来ない。

まあ、俗な言い方をすれば、結局”自分自身を知る”事は難しいといった事なんですがね(笑)。

で、もう一度見てみるというのもありかと。私はむしろ救いがないからこそ救いがあると思うんですがね(笑)。ファーストガンダムやっと見終わりましたが、いやあ、一種の苦行ですな、あれは(笑)。逆にいうと現在のアニメは恐るべき完成度にあると言うべきか。で、苦行の結論として、アメリカン・ニューシネマ説に一票。

しかし、いい年した大人がエヴァの話で盛り上がるというのも「気持ち悪い」(笑)。

2007.04.19 23:27 URL | 免 #5vYGyeZk [ 編集 ]

撤収しようと思ったのですが。(^^;

○田さん、私の危惧はほとんどゲスの勘ぐりな方向に向かっているみたいですね。だとすると、僕と○田さんの投資家としての質やレベルはあまり変わらないですよ、きっと。

免さん、私の言わんとしていることはこういうことです。結局のところ99%以上の人間はお金を求めて市場にいるのです。そして99%以上の人は儲かるための理屈、つまり聖杯を求めているだろうと思うのです。しかし、"そういう意味での聖杯は無い"と私は思っている人間なのです。
よってゆえに、"そのココロは?"ということに対して議論は出来るけれども、答えは出ないということになるのです。
つきつめれば、私が信じているエッジについて正当な理由を問われてもうまく答えることはできないし、将来儲かるかも分からないし、否定されても同意されても何とも思わないのです。
"実践的な投資家"ならば、このあたりの感覚は伝わるかなぁと私は考えているので、かのような発言になったのです。

2007.04.19 23:27 URL | よっしー #P7kqTMNE [ 編集 ]

よっしーさん
よっしーさんと同レベルと勘違いするほど間抜けではないつもりですし、残念ながらそれほど天狗になれるような目にあっていませんw。

免さん
ははは。やっぱり苦行でした? 僕も何度挫折しかけたことか…。

んで、苦行の話ではなく、気持ち悪いほうの話なんですが、救いがないからこそ救われるというのは、まさに感じていたことでした。

主観的立場に徹することが逆に客観性を齎すとというあたり、ちょっとまだ僕の理解が怪しい気がするんですが、まあ、今回の解説でおぼろげながらここまではクリアしたことにします。って、こういうのがよくないのかw。

エヴァはもう一回見たいんですけど、長いからなあ。

2007.04.20 04:08 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

よっしーさん

結局、言っている或いは言おうとしている事は同じだと思うのです。私流に言うと、「より優れた投資理論・投資方法というようなものは無い。より優れた投資家がいるだけだ。」 といったような表現になりますが、この辺が「評論家的」と取られる所以かも知れない(笑)。

○田さん

でまあ、もう一つは「思考の道具」としての言葉の問題で、我々は言葉というものに対して非常な自在観を持っているんですが、この点に関して一度言葉が「死ぬ」必要があると思うんです。「思考の道具」としての限界・欠点について理解しておく必要がある。現実の襞に分け入っていくのには、非常になまくらな、不十分なものであるということをわきまえて置く必要がある。

で、言葉ってのは「量」を表現するののには割合適しているんですが、「質」を表現するのには全く適していないということを先ず骨身に染みて解かって置く必要がある。現実の質的多様性に対しての言葉の量的多様性の限界という事なんですが、例えば、「自分が陥っているバイアス」と「そのバイアスを認識するバイアス」と「バイアスを逃れたつもりの視点のバイアス」と言う場合、この3つのバイアスは全部同じバイアスという言葉なんですが、全部意味=質が微妙に異なるという事を理解しておく必要がある。この違いが解かる男になんなくちゃあならない(笑)。これらのバイアスは次元が違うとか言うんですが、ではどのように次元が違うのか。この次元も又意味が微妙に異なる訳です。この現実という質の差異というものに対して、どうやって言葉という量の差異でもって対応させるのか。

でまあ、この点を踏まえていない議論が多すぎるんで、おもちゃにして遊んでいるつもりで、実はおもちゃにされていたってのは何もオ*ナに限った話ではない、というお話でした(笑)。

2007.04.21 04:48 URL | 免 #5vYGyeZk [ 編集 ]

免さん

>>結局、言っている或いは言おうとしている事は同じだと思うのです。私流に言うと、「より優れた投資理論・投資方法というようなものは無い。より優れた投資家がいるだけだ。」 といったような表現になりますが、この辺が「評論家的」と取られる所以かも知れない(笑)。

なるほど。それはまさに考えていることは同じですね。僕よりも表現が簡潔かもしれません(苦笑)。
 察するに、今後、このような基本的な論点で、○田さんや免さんと議論するようなことはないだろうと思いました。誰かの考えが変わらない限り(笑)。

2007.04.22 14:43 URL | よっしー #P7kqTMNE [ 編集 ]

いや、なんだか言語論の世界にはいってきたようですねえ。
ここまでくると、よう分からん(笑)

ま、いくら多言をついやしても目の前にある花の色を正確に伝えることはできない、量を質に転化させることはできないってな意味でしょうかね。

それでも伝わるってほうが面白いとも思いますが

>この点を踏まえていない議論が多すぎるんで

という部分はその通りですね。これのせいでいたずらにグルグル回っている気もする。

ちょっとこのコメント欄で収まる話じゃなくなってきたなあ。

2007.04.23 01:31 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

>ま、いくら多言をついやしても目の前にある花の色を正確に伝えることはできない、

そうそう、まさに色なんかは良い例で、海の色は蒼いと教わった子供が東京湾を見て、この海の色は果たして何色かと途方に暮れて画用紙とクレヨンを投げ出しても何の不思議もない訳です。

で、例えばこれを「量を質に転化させることはできない」と言葉で表現してもよいが、その時にこの場合の「できない」事の固有性は常に念頭において置く必要がある。つまり、ここから量から質への転化一般を語る時には論理を延長している訳ですが、世にある一般論というものは往々にしてこの論理を延長する時に間違える訳です。

この「量を質に転化させることはできない」と言語化する状況もまた「量を質に転化させることはできない」訳です(笑)。

でまあ、この辺は定量分析と定性分析との違いという事にも絡んでくるんですが、問題の大本はここ、つまり認識論レベルにおける言語の本質的倒錯性に或るという事です。

これが二つ目。で三つ目は

>それでも伝わるってほうが面白いとも思いますが

いやいや、まさにこの点で(笑)、我々の主体的知的能力の質の問題、例えば果たして理解する判るとはどういうことかといった問題ですが

>ちょっとこのコメント欄で収まる話じゃなくなってきたなあ。

元々収まる話じゃあないんですけど、まあ接線だけでもざっくりと引いて置きたいと、こう思う訳です(笑)。

2007.04.23 02:56 URL | 免 #5vYGyeZk [ 編集 ]

固有性と一般性の部分は確かにだまされやすいところですね。
これ、でも、常に頭に入れておかないと相当難しいっすね。


3つめに関しては、インプットとアウトプットの間に差異がある感じなのかいな。

コメント32。
面白い。

2007.04.24 00:12 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

で、最初の「どこまで言ってもバイアス」に話をもどすと、この「どこまで言ってもバイアス」という状態ってのは、説明しようとすると非常に難しいんですが、とにかくまあ、解かることは解かる(笑)。だから「誰も私に問わなければ、私はそれを知っている。誰か問う者に説明しようとすれば、私はそれを知ってはいない」とか「知ル者ハ言ハズ、言フ者ハ知ラズ」とか昔の人は言ったわけですが、この直覚する能力というものが人間には備わっている。ここには記憶の問題が絡んでくるんですが、ややこしんで、ここでは記憶と理解とはある一つの能力を別の側面から言ったものに過ぎないと言って置きますが、これを普通には”直感”という訳ですが、恐らく我々人間が理解するとか解かるという行為の中心にはこの直感がある。

 例えば、この辺りは将棋とか碁の場合を考えてみると解かり易いんですが、将棋打ちや碁打ちが長考しているのは手を発見しようと盤面を読んでいる訳ではない。手というものが先ずあって、それを実地に確かめるために長々と盤面を読んでいる訳です。勿論、その過程でまた新たな手が発見されることもある訳ですが、まず手の発見というものが存在していることには変わりがない。帰納とか演繹とか色々いう訳ですが、実際には先ず直覚ありきなんです。直感ありきなんです。

それで・・・続く。

いやちと飲み過ぎた(笑)。

2007.04.25 03:51 URL | 免 #5vYGyeZk [ 編集 ]

へい。では続きを。

2007.04.26 01:03 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]

で武蔵は、見るという事について、観見二つの見様があると言っている。

細川忠利への覚書のなかに、目付之事という項目があって、立会いの際、相手方に目を付ける場合「観の目強く、見の目弱く見るべし」と言っている。

見の目とは、常の目、普通の目の働き方で、敵の動きがああだとかこうだとか分析的に知的論理的に合点する目。もう一つ、観の目は相手の存在を全体的に直覚する目、「目の玉を動かさず、うらやかに見る」目だという。「敵合近づくとも、いか程も遠く見る目」。「意は目に付き、心は付かざるもの也」、常の目は見ようとするが、見ようとしない心にも目はある。見ようとする意が目を曇らせる。だから見の目を弱く観の目を強くせよと言う。

つまり、そういう深化した直感的な目を磨かなくちゃあならないと武蔵は言っている。まあ、どうやって磨くかということは言ってないんだけど、こいつは行動ファイナンスなんかよりよほど凄い事を言っていると私は思うんだけど、さてどうですかね(笑)。

「観の目強く、見の目弱く見るべし」


さて、これで非常に大雑把ではあるが三つの接線は引いた訳ですが、これらの事に留意してものを考えるというのは、非常に難しい。ま、現実の同義語は困難であり、困難の同義語は努力である、といったところか。

でもってポートフォリオの組み方もこの三つの接線に沿って考えてみるのも一考かと(笑)。

2007.04.28 12:03 URL | 免 #5vYGyeZk [ 編集 ]

バガボンドでもこのあたりが描かれていたような気がしますが(というか、昔から戦闘のある少年マンガでは王道の感覚ですね)、どうもこの直覚というのも分かるようで分からんようで分かる感じ(笑)。
いや、まあこの直覚を説明したら直覚でなくなる訳で、そこがややこしいというか、ホントかよっていうか、確かにっつう感じなんですが。

いや、こんな3つを意識しながら物事考えるのは至難の業だということは分かりました。

特に"内に入り込む"ってのは、免さんの言葉がグサグサ刺さる理由なんだなあと改めて感じ入ったわけですが、これはしんどい作業ですねえ。
これを考え出したら、僕を含めほとんどの人は、口をつぐんでしまうかもしれないなあ。

2007.04.29 21:26 URL | ○田×男 #- [ 編集 ]












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